フィリピン ドゥマゲテ ロックダウン

ドゥマゲテロックダウン生活日記:4日目(4月6日)

ロックダウン4日目。

フィリピンに移住して以来、日本にいたときと比べると時間がゆっくり流れるようになったなぁと思っていたが、ロックダウンが始まってからはより一層ゆっくりに感じる。

むしろ1日がやけに長い。
外出という選択肢を失うだけで時間感覚がこんなに変わるのかと驚いた。
ちょっと囚人のような気分だ。

東日本大震災のとき私は新浦安に住んでいて、液状化のためアパートの水が1ヶ月出なかった。
どんどん人が消えていく街で一人、銭湯や漫画喫茶に通ったり携帯トイレを使用したりしながら過ごす1ヶ月は辛かった。
やっと水が出た瞬間は思わず床にへたり込んで泣いた。

それに比べれば、今のロックダウン生活は水も出るし電気も使える。
今のところ「生命の維持」で致命的に困ることはない。

なのに、なんだろうこの喪失感は。
新浦安のあのときは、それでも自分の足でどこにでも行けたんだよなぁ。
行動を奪われることがこんなに歯痒いとは。
今の自分はまさに「stuck」している感じだ。

食材が尽きてきて昼食も簡素になった。

 

午後になって、同居人彼氏が下の階の住人に外出許可証を借りる交渉をしに行った。
アパートにあるのは黒と赤の外出許可証で、それぞれ火曜午前と土曜午後、月曜午前と木曜午後の外出が認められている。
もし他の住人の希望と被らなければ、火曜午前か木曜午後の枠で使わせてもらおうと思ったのだ。

が、結果として外出許可証は借りることができなかった。
下の階の住人は彼氏にこんな風に言ったそうだ。

外出許可証がなくても大丈夫!
みんな持たないで出かけてるし、チェックもされてないよ。
心配しないで!ここはフィリピンだよ?
韓国や日本のように厳しくないから(笑)
もしどうしても心配だったら念のためチェックポイントだけ通らないようにすればいいよ。

うーむ、やはり外出許可証は有名無実と化してしまっているようだ。
半ば予想していたとは言え、ルールを真面目に守ろうとしていた自分に脱力してしまう。
ルールを守らせてもらえないことへの苛立ちも若干感じた。

でも一方で、これこそ今まで何度も味わってきた「That’s Philippine」だよなぁと納得もしてしまった。
それにこうも思う。やっぱりドゥマゲテの街に厳しすぎる制約は似合わないな、と。

ゆるいけどフィリピン屈指の治安の良さ、それこそがドゥマゲテのかけがえのない魅力なのだ。

 

なんだか脱力してしまった私と彼氏は、その後家から徒歩1分のサリサリに行ってみることにした。
道に出ると、外出許可証の許可時間は終わってるにもかかわらず、車もバイクも普通に走っていた。

なんならヨーロピアンらしきおじちゃんがスポーツウェアにマウンテンバイクで快走していたりもした。
交通量自体は少ないが、ロックダウン前と変わらないドゥマゲテの景色だった。

そもそも「家を一歩でも出れば感染を広める」わけじゃない。
人にもよるだろうが、外へ一歩も出ず運動もできない状態で過ごす方が、私にとってはずっと健康に悪い。

これからは3密を避けた上で、1日1回散歩だけはさせてもらおうと決めた。
それだけで心が少し軽くなった。

 

夜はロックダウンが始まって以来初めてのデリバリーを頼んだ。
ロックダウン後もたくさんのレストランがデリバリーやピックアップのための営業を続けてくれている。
営業は相当厳しい状況だと思うが、本当に感謝しかない。

オープンしたばかりなのにロックダウンに入ってしまった「2 story bbq & Grilled」で、韓国チャンポンとタンスユを頼んだ。
普段もめちゃくちゃ美味しい焼肉屋さんなのだがデリバリーも最高だった。

ご飯が美味しいだけで気持ちが明るくなる。

 

その後、同じドゥマゲテ在住の友人が企画したZOOM飲み会に参加したが、アパートのWIFIが弱すぎてろくに会話もできないまま強制退出になってしまった。
悲しすぎる。。みんなの状況聞きたかったし励まし合いたかったのになぁ。

ちなみにアパートのWIFIは本当はもっと速いスカイファイバーを申し込んでいたのだが、ロックダウン直前すぎて今は設置ができないと言われてしまった。
正直、ロックダウンが予定通り2週間で終わる可能性は低いのではないかと予想している。
このWIFI問題が解決するのは果たして何週間後、何ヶ月後になるのか。

やっぱり引越しはロックダウン直前にするもんじゃない。