フィリピンのロックダウン生活で感じたこと・考えたこと

フィリピンでのロックダウン生活1ヶ月で感じたこと・考えたこと

こんにちは、フィリピン在住フリーランスのchieです。

私の住んでいるドゥマゲテでは4月3日から30日までの28日間、「Enhanced Community Quarantine」(強化されたコミュニティ隔離措置)が実施されました。
これは都市をまたぐ移動だけでなく、住民は基本的に外出禁止というかなり厳しいロックダウン施策でした。

何はともあれ貴重な経験だと思い、ロックダウン中はこのブログでも日記をつけていました。
初日の日記がこちら。

ドゥマゲテロックダウン生活日記:1日目(4月3日)

5月に入ってからは「General Community Quarantine」にダウングレードされ、いわゆるロックダウンは解除された状態になっています。

というわけでここで改めて、この1ヶ月のロックダウン生活で私がどんなことを感じたかや、何を考えたかを振り返っておこうと思います。

ロックダウンのルール(フィリピン・ネグロスオリエンタルの場合)

フィリピンのロックダウンは、基本的なルールは全国共通ですが、細かい部分が州ごとに異なりました。
ドゥマゲテのあるネグロスオリエンタル州の場合は、大まかに以下のルールで実施されました。

  • 基本的に外出禁止
  • 店・事業所・宿泊サービスは営業停止
  • 公共交通機関は運休
  • 自分の車やバイクで移動の移動も基本的に禁止
  • 州をまたぐ移動禁止

※いずれもエッセンシャルワークを除く

一般市民は食品・薬の買い出しや病院診療など、必要不可欠な目的でのみ週2日(午前・午後のどちらか)の外出が可能。
ただし外出時はQuarantine Pass(外出許可証)の携帯が必要というルールでした。

※ちなみにこのルールは追って緩和され、3週目からは週3回(午前午後縛りなし)の外出が可能になりました。

ではここから、このルールのもとで1ヶ月生活してみての正直な感想を書いていきます。
(すべて私個人の主観であり一般論ではありません)

1.「外国人」は空気が読めないもどかしさ

ドゥマゲテに移住して約1年半経ちますが、もちろんこんな事態に遭遇したのは初めてです。
私だけでなく、ドゥマゲテの人たちにとっても初めてだったと思います。

そこでまず苦労したのが情報収集
私は現地人の知り合いも少なく、基本的にFacebookとTwitterの2つで自力で情報収集していました。

が、そもそも政府や自治体の方針自体もコロコロ変わる上、誰もにとって初めての事態なので予測をつけることがほとんどできませんでした。
さらに言語も英語がかろうじて片言、現地語に至っては全くわからない状態だったため、情報を見つけても正確に読み取ることが困難でした。

ちょっと曖昧な言い方になりますが、「空気が読めない」こともネックでした。
日本だったら、「あ、今ってこういう状況なのかな」「これからの流れってこうなのかな」という空気を少なからず肌で感じ取れる気がするんですが、フィリピンであくまで「外国人」の私は、それがなかなかできない。
「このルールってどれくらい厳密にやるんだろう?」といった細かい部分の現地の「阿吽」が、いまいちわからないのがとてももどかしかったです。

今後こういった非常時に適切に対応するには、もっと現地の人たちのコミュニティに参加して、地元情報網を築いておくことも重要かもしれないと思いました。

2.後進国でロックダウンは機能するのか

ロックダウンで私が一番ストレスを感じたのが外出許可証(Quarantine Pass)です。
1家庭につき1枚配布される予定でしたが、結局私はロックダウン期間中1度ももらえませんでした。

まず最初の2週間について。
アパート住みの場合、外出許可証はそのアパートの他の住人たちとシェアをする前提で運用されました。
この運用ルールは意図が謎で、Facebook上では批判の声もたくさん見られ、ネグロスオリエンタル州も「外出許可証をシェアすることが逆に感染につながる懸念がある」として改善を勧告していました。

それを受けてか、後半2週間はアパート住みでも1部屋につき1枚配布されるかたちに改善されました。
でも、なぜか私のアパートはシェア方式が継続されました。
地域やアパートによって不公平が生じていたことになります。
このオペレーションには疑問を感じざるを得ませんでした。

そもそも大家族の多いフィリピンにおいて、外出は週2日、午前か午後のみ、一家族のうち一人だけという制約は厳しすぎて、どう頑張っても守れない状態の市民も大勢いる様子でした。

郊外からドゥマゲテへ入るためのチェックポイントには連日長蛇の列ができ、ソーシャルディスタンスどころじゃない状態に。
さらにフィリピンではほとんどの人が銀行口座を持てないため政府からの補償金は現金手渡しで、そのための待機列も長蛇。
しかもロックダウンが明けた今も配布は完了していません。

もともとフィリピンは、あらゆる面でオペレーションがザルです。
(悪口を言いたいわけではなく、事実として)
長く滞在すると必ず「なんでたったこれだけのことにこんなに時間と手間がかかるんだろう」と感じる場面に遭遇します。

今回のロックダウンでも、行政のオペレーションが上手くいっていない上、市民の理解やリテラシーも追いついていないのが明らかでした。
正直な感想として、こんな状態のロックダウンで果たしてどれだけの効果があるのか、疑問に思ってしまいました。

そもそも後進国は、先進国に比べて引きこもること自体がはるかに困難であるように思います。
仕事を休業できるほど蓄えのある人は少なく、政府が補償金を出しても適切に行き渡るのが困難。
さらに東南アジアは基本的に高い人口密度で成り立っている社会です。

同じ「ロックダウン」でも、先進国と後進国とではもはや別物として捉えるべきだと考えるようになりました。

3.不平等を被る側を味わう意義

他の人たちは外出許可証をもらえているのに自分はもらえていないと知ったとき、正直とても不満を感じてしまいました。
今は私欲を抑えて行政に協力しなければならないときだと理解しつつも、ただでさえ限られた曜日の限られた時間しか外出できないのに、そのために必要なパスがもらえず、しかもその不平等に対して理屈の通った説明がないなんて、さすがに酷いと。

同時に、私が日本で過ごしてきたこれまでの人生では、こういう非論理的な不平等をほぼ全く受けて来なかったことに気づかされました。
全てが完全に平等とまではいかずとも、こういった必要不可欠なもので自分だけがもらえなかったなんてことはなかったなと。

もちろん日本を含め世界中に不平等は存在し、それを被り続けている人たちがいることは知っていました。
でも私は恥ずかしながら自分ごととして捉えたことが一度もなく、いつも遠巻きに安全な場所から眺めていただけでした。
それだけ社会や家族に守られ、幸せに、そして無知に能天気に生きてきたということだと思います。

たかが外出許可証ではありますが、「ああ、理屈なしに不平等を強いられるというのはこういう気持ちなのか」と、当事者として実感できた気がしました。
私にとっては意義のある気づきでした。

4.日本とフィリピンはどっちが「安心」?

フィリピンでロックダウンが始まる少し前くらいから、SNS上で「日本はゆるすぎる」「フィリピンの方がしっかりしている」という意見をたくさん見かけるようになりました。
特に、フィリピンがいち早く中国をはじめとする流行地域からの渡航を制限したことや、大統領権限で厳しいロックダウンを実行したことが、日本のスピード感のない施策と比較して高く評価されているようでした。

でも実際に今フィリピンにいる私は、その意見には強い違和感を覚えました。

先に書いた通り、少なくともドゥマゲテでは、ロックダウンを実施しても本質的に機能していない部分がたくさんありました。

そしてフィリピンには、そもそもウイルス感染以前のリスクがたくさんあります。
まず医療。
フィリピンで病院に行ったことがある人ならわかると思いますが、日本の医療水準とは全く比較になりません。
新型コロナウイルス以外でもフィリピンの病院にかかるのはできるだけ避けたいのが本音です。

そしてインフラ。
停電や断水はしょっちゅうだし、緊急時のセーフティーネットにはかなり不安があります。
そもそも、貧困家庭には手洗いのための石鹸すら行き渡っていない。冷蔵庫だってない。それがフィリピンです。

新型コロナウイルスに関しては、フィリピンでは治療費が恐ろしく高額になってしまうのもネックです。
隔離入院4日で数十万、治療入院2週間で100万越えなどの体験談に震えあがりました。
費用面の問題で病院にかかりたくてもかかれない国民もたくさんいるでしょう。

さらに衛生状況を考えれば、新型コロナウイルスに限らず、あらゆるウイルスや細菌による健康リスクは明らかにフィリピンの方が高いと思われます。
フィリピンでは致死率100%の狂犬病も健在で、いまだに毎年3桁の死者数を数えています。

交通事故数や犯罪発生数の多さ、外国人ゆえ政府に「守ってもらえない」状況など、リスクを挙げればキリがありません。

ちなみに私が最も大きいリスクと感じているのは、以前のようにいつでも気軽に帰国できる状態ではなくなってしまったことです。
私は、インフラの弱いフィリピンには「何かあればすぐ帰国できる」からこそ住めると考えていました。
例えば、病気になってしまっても、緊急の外傷などでなければ帰国して健康保険を使って病院にかかることができます。

しかし今は、国際線のみならず国内線さえ運行しておらず、帰国したくてもできない状態です。
フィリピンに根を下ろしサスティナブルな生活基盤を築いている人は別かもしれませんが、私のような「身軽に移動する」前提の居住者にとってはかなりハイリスクと言えます。

5.諸刃の剣としてのロックダウン

「日本よりフィリピンの方が安心」という意見と似たかたちで、「日本もロックダウンすべきだ」という意見もたくさん見るようになりました。
でも、ロックダウンを味わった自分としては、必ずしもそうとは言えないと考えています。

ウイルスでも人は死にますが、経済でも人は死にます。
フィリピンはいまだ後進国で、決して国力が高いとはいえず、財政では国外からの収入に依存する部分も大きく、補償の持続力もありません。

近年ドゥマゲテは観光客や移住者が増加し、ホテルやアパート、レストランなどが一気に増えていましたが、渡航制限以降は本当に無残です。
街がどんどん死んでいっているのがわかります。

日本はフィリピンよりも持久力があるはずですが、それも長期になるほど当然厳しくなるでしょう。
有名企業の破産申請や休業のニュースも一気に増えてきました。
そう遠くないうちにメンタルヘルス患者数や自殺者数などの数値でも現れてくることが予想できます。

そもそも各国の専門家は、感染はすでに世界中に広がっているこの状況では、これから感染者数を「0」に抑え込むことはほぼ不可能と見解しています。
ロックダウンで地域内の感染者数を一度減らせても、地球上で人や物の移動が続く限り、どうしても第二波・第三波が発生することになります。

ロックダウンでできることは「一時的に感染者数を減らすこと」です。
そのメリットと、ロックダウンによって生じるデメリットは並列で議論されるべきだと私は思います。
「ウイルスか経済か」の2択ではなく、両者への対策は常にセットであるべきはずです。

私は、「日本もロックダウンすべきだ」という意見の多くは、ロックダウンのデメリット面をほとんど検討していないように感じています。
また、ロックダウンするとしたら目指す目標値は、ガイドラインは、解除基準はといった具体的な案も、個人個人で考えている人が果たしてどれくらいいるのか疑問です。

欧米のように医療が崩壊して大量の死者数が出たらと思うと、確かに今回のウイルスは怖いです。
でも、職を失い、収入を失い、路頭に迷う人が大量に出ることもめちゃくちゃ怖いはずです。
さらに、ウイルスを恐れるあまり冷静さを失い、人間としての文化的な生活を失い、社会が壊れていくことはその何倍も怖いです。

感染対策は確かに重要ですが、人はいずれ必ず死ぬ以上、健康に長く生きることは「手段」であり、目的はあくまで「良い人生を送ること」だと私は考えています。
ロックダウンを論じる流れの中で、「自分が本当に送りたい人生はどんなものか」を考えるのも、とても大切なことだと感じました。

6.「大きい政府」を求める理由

フィリピンのロックダウン政策では、ドゥテルテ大統領の「従わなければ射殺する」発言が注目を浴びました。
(実際のところは脅し文句に近いようで、フィリピン警察は問答無用の射殺は否定しています)

フィリピンではこれほどの「強制」が発動されるのに対し、日本はあくまで「要請」にとどまるのがもどかしいという意見もたくさん見ました。
気持ちはわかるんですが、その一方で、やはりロックダウン同様、「強権」のデメリットが軽んじられている印象を持ちました。

民主主義国家・法治国家として、日本ではさまざまな「自由権」が人権として法律で認められています。
好きな時に行きたいところへ行けること、つきたい職業につけること、自分の考えを表現できることなど、日本ではすべて当たり前に享受している権利ですが、海外諸国を見てみると、それが決して地球規模で「当たり前」とは言えないことがわかります。

政府に強権を持たせロックダウンを発動させることは、この「自由権」を自ら手放すことでもあります。
「緊急時だから仕方ない」という考え方もありますが、一度手放した「実績」ができてしまえば、それは日本の将来に少なからず影響するはずです。

正直に言うと、今フィリピンにいる私はむしろ、自由権を持ったまま「自粛」で医療崩壊を阻止できるかもしれない日本が羨ましいです。
強権やロックダウンによって失うものは、それだけ大きいと感じています。
そして逆に、ウイルスだけを恐れるあまり、いわゆる「大きい政府」やカリスマ的リーダーを求める声が高まっていることには少し不安を感じています。

あまりにも終わりが見えないこの状況で、不安に耐えられず、危機管理を誰かに丸投げしたいという本音も見える気がします。
実際、感染症のことも経済のこと政治のこともほとんどの市民にとっては専門外で、「自分に決められることなんてない」と感じてしまっても無理はないかもしれません。

しかしだからこそ、一人ひとりが地道に情報収集し、真摯に勉強し、精一杯考えることはとても重要だと私は思います。
それをしなければ、選挙で明確な意志をもって投票することもできないし、自ら民主主義を手放すことになってしまいます。
日本は、全国民が国の未来を決める権利を持つ国です。
そのために一人ひとりが自発的に学び意見を持つことは、国の運営を担っている「国民」としての義務でもあるはずです。

そもそも政治家は国民の代表であり、国民は客ではなく運営の担い手だということが忘れられがちな空気になってきているのも気になります。
考え方は人それぞれですが、今フィリピンから日本を見ている私は、日本において「危機管理」は一人ひとりが意志をもって行動すべきことであってほしいと願ってしまいます。

そして大統領だろうと政治家だろうと専門家だろうと、何かすごい業績を成し遂げた天才的専門家だろうと、常に完璧な判断を下せる人間なんて存在しないと私は思います。
誰か一人を盲信するのではなく、状況に応じて都度正しいリーダーを選出し、そのリーダーが誤った道に進もうとするなら止めなければならない。
その行動を決断するためには、一人ひとりが学び考える姿勢が絶対的に必要です。

7.ロックダウンは物欲と食欲を膨らませる

ロックダウン生活を送ってみて、自分は引きこもると物欲と食欲が増大するということに気づきました。
外出できない分、家の中で人生の満足度を上げようとすると、家の中をより快適にするために欲しいものが色々と出てくるんですよね。

インテリアで空間をおしゃれにしたいし、ソファとかベッドとかリラックススペースのクオリティーを上げたくなったり。
ゲームや工作など家のなかでできる娯楽も欲しくなるし、より本格的な料理を楽しむための道具や食材なんかも欲しくなりました。

外食できない分、家の中での食事に対する欲求も高まり、つい食べ過ぎちゃう傾向もありました。
引きこもりで物欲と食欲が増すとは知らなかったので、個人的にちょっと面白い気づきでした。

8.治安が悪くなった?

ドゥマゲテ周辺ではロックダウン以降、違法賭博やドラッグ取引などの摘発が増えたのと同時に、殺人事件の発生数も増えた気がしました。

前者については、おそらく闇ビジネスは補償が得られないこともあって休業が難しく、ロックダウン状態であぶり出された面もあるのかなということでわかる気がするんですが、殺人事件が増えるのはちょっと理屈がわからなかったです。
ちなみに私がニュースを見た限りでは、強盗目的っぽい殺人事件はありませんでした。

可能性としては、そもそも殺人事件は以前から同程度に起きていたが、単にニュースを見逃していたということが考えられます。
あるいは、もしロックダウン以降に実際に増えたとしたら、殺人を犯す側にとって何か都合の良い要素・もしくは殺人を実行せざるを得なくなるような要素がロックダウンにはあるのかもしれませんが、今のところわかりません。
これは引き続き気にかけてみたいと思っています。

最後に:失った時間は戻ってくるのか

蛇足を書きます。
私の人生のターニングポイントは2016年、会社を辞めて世界周遊を始めたときでした。

詳しくはこちら。

私が35歳でフィリピンに移住した理由(前編)
私が35歳でフィリピンに移住した理由(後編)

あのときあの決断をしなかったら、今どうなっていたか全く想像がつきません。
それくらい、私にとっては人生も価値観も180度変わったターニングポイントでした。

でもあれがもし、2016年ではなく今年だったら。
フィリピン留学はもちろん、海外に行くこと自体を諦めざるを得なかっただろうし、安定を求めて会社員を続ける決断をしたかもしれません。

そうしたら他の言語を学ぶことも、海外情勢を知ろうとすることも、フリーランスとしてチャレンジすることもなかったかもしれない。
今一緒に暮らしている彼氏とも出会えなかったでしょう。

正直、想像するだけでゾッとしました。
私は、人生には何度か「今」というタイミングがある気がします。
そういうときは自分の中でモチベーションが一気に高まり、なぜか周りの協力も得られ、物事がとんとん拍子に進んだりします。
でもそのタイミングを生かす権利が、外的要因によって強制的に奪われてしまったら。
失うものがあまりにも大きすぎます。
今、この喪失が世界中で全ての人に大なり小なり起きているのですから、本当に由々しい事態です。

人間は引きこもりさえすれば安全に生きていけるかもしれないけど、そうして得られる人生はおそらく今までとは比べ物にならないほど空虚なものでしょう。
その状態を今後どれくらい続けなければならないのか、それによって失ったものは終息後に本当に取り戻せるのか、私自身しっかりと考えなければならないと思いました。
もちろん、同時に感染爆発によって失うものの大きさ・重さも並列で考えなければいけません。

 

とまぁなんかかなり暗いことばかり長々書いてきましたが、意外と思ったより早くワクチンが開発されたり、専門家の予想に反して、何かの要因で世界の感染者がゼロになったりすることだってあるかもしれません。
「考えなければならない」と言いつつ、考えすぎてメンタルを病むのも本末転倒です。

これからも自分なりの適度なバランスで学び続けつつ、基本的には悲観し過ぎず、できるだけ「いつも通り」の生活を淡々と送っていきたいと思っています。