ロックダウン10日目。
今日はイースター(復活祭)の日曜日。
例年はドゥマゲテでもイースターエッグハントやビーチピクニックで盛り上がるらしいが、今年はロックダウン中で集まりは禁止。
…のはずなのだが、うちのアパートの隣の敷地では大人数で盛大に飲み食いしていた。
こればっかりは国民性の違いかなぁと思う。
フィリピンの人たちに比べれば、日本人は圧倒的に真面目だ。
ルールを破ることに対して心理的抵抗を感じる人がとても多い。私自身もその一人。
これはもう、日本人の国民性としてdiscipline(自制)が染み付いているんだと思う。
20カ国以上訪れてきたが、私が見た限りでは日本人以上にルール第一主義な国には出会わなかった。
フィリピンも例外ではなく、たとえば列に並ばなかったり時間を守らない人がとても多い。
ルーズでいい加減とも、柔軟でおおらかとも取れる。
日本人のdisciplineにも良し悪し両方がある。
よってどちらが良いという話ではないのだが、ことロックダウンを機能させる上では、disciplineな国民性の方が有利なのかもしれないと思った。
さすがにゆるすぎる、フィリピン人。
だからこそ行政が強権を発揮して厳しく規制せざるを得ないのかもしれない。
ところで日本人にdisciplineが染み付いている背景には、「和を乱すべからず」という同調圧力の強さもある気がする。
SNSが普及してからはそれがさらに「和を乱す者は糾弾して然るべき」という暴力レベルの圧力に発展したように思う。
他の国はわからないが、少なくともフィリピンではそこまでの同調圧力は感じない。
日本の雰囲気と比べればはるかに多様性を許容する土壌を感じる。
自分が外国人で同調圧力に鈍感だという点を加味したとしてもである。
(もちろん、フィリピンにも他者への強い糾弾や差別的な言動はあるのだが)
緊急事態宣言が出てからの渋谷や新宿の写真を見たが、強制ではなく「自粛要請」でありながら、ここまで人が消えるのは素直にすごいと思った。
自分が今フリーダムな国民性のフィリピンにいるから、なおのこと凄味を感じる。
ただ、一方で、その行動の背景には少なからず「和を乱したら吊し上げられる」という恐怖もあるのかもしれないと思うと、背筋が寒くなるような怖さも感じてしまうのだった。
しかし自由意志ではない、暴力的なまでの同調圧力で築き上げたdisciplineな社会は、たとえ感染症の脅威を排除できたとしてもディストピアだろうな。
— chie@フィリピン在住フリーランス (@chie23232) April 10, 2020
さて、今日はフィリピンではなく日本から衝撃的なニュースが入ってきた。
熊本県の蒲島郁夫知事は12日、臨時の記者会見を開き、新型コロナウイルスの感染が確認された70代男性=熊本市東区=について、同県人吉市の「球磨病院」に勤務する整形外科の医師だと明らかにした。男性と同居する70代の妻の感染も確認されたほか、すでにせきや発熱など感染が疑われる症状が出ている医療従事者や患者ら濃厚接触者も12人いるという。
実家のある我が地元で陽性患者、しかもクラスター感染の疑い。
よりによって病院とは。
人吉は人口3万人、高齢者比率3割超えのど田舎だ。
人の出入りも少ないし、正直人吉は大丈夫だろうと高を括っていた。
現時点で陽性の医師は熊本市内からの通勤だったとのことで、おそらく外から入ってきた可能性が高いが、医師からクラスター感染が起きていたらまずい。
人吉は病床数も少ないだろうし、高齢者は生活する上で外出自粛も難しいほど、本当に田舎なのだ。
両親に「念のためこの病院にかかっていた人がもし周りにいたら会わないようにしてね」とお願いしておいたが、まぁ心配。
二人とも頻繁に外出するし人にもたくさん会うタイプなだけに。
ちなみに私には姉もいるが、彼女は名古屋で今も通勤しているらしい。
人口密度で言えば一番感染リスクが高いのは姉かもしれない。
ロックダウン中なのに、なんだか家族の中で自分が一番呑気に過ごしている気がしてきた。