ドゥマゲテ ロックダウン

ドゥマゲテロックダウン生活日記:23日目(4月25日)

ロックダウン23日目。

このままいけば、ロックダウン解除(GCQへのダウングレード)まであと6日!
ルールの詳細は不明だが、解除されたらとりあえずスーパーで自分の足で直接買い物したい。
そしてカフェでのんびりコーヒーを飲んで、海沿いを自転車でぶらぶら走りたい。

終わりが見えると気持ちが楽になる。
と同時に、緊張の糸も緩んでしまう。
気をつけよう。

 

さて、何も書くことがない。
何も書くことがないので、ロックダウン中の自分の1日のタイムスケジュールでも書いてみる。

8時〜9時:起床
9時〜9時半:運動
10時〜10時半:シャワー
10時半〜11時半:ブログ
11時半〜12時:昼食作り
12時〜13時:昼食
13時〜14時半:仕事
14時半〜16時:昼寝
16時〜18時:仕事
18時〜18時半:デリバリー頼む
18時半〜19時半:夕食
19時半〜20時半:ゲーム
20時半〜24時:仕事

すごく上手くいくとこんな感じ。
大体上手くいかず押し押しになり、運動をスキップしたり、仕事終わりが27時くらいになるときもある。

実はロックダウン前もほぼ変わらずこんな感じだった^^;
夕食が外食からデリバリーになったことで、夜の仕事時間が多少増えたくらいだな。
あと家のWIFIが夜の方が調子いいので、諸々どうしても夜主体になる。

 

普段もそこまで頻繁に外出していたわけじゃない。
しかし自分の意志で閉じこもるのと、強制的に閉じ込められるのでは精神的にかなり違うということが、今回のロックダウンでよくわかった。
どこにでも行ける自由を失ったという「喪失感」がとても強い。

世界各地を周っていた頃、現地の人にときどき「いろんな国を自由に旅できるなんて羨ましい」と言われることがあった。
はじめは仕事やお金の都合かと思ったが(それももちろんあるが)、それ以前にビザがなかなか下りないのだと教えてもらった。
今いるフィリピンにも、観光ビザを取るだけでも大変という人がとても多い。
日本への旅行なんて、フィリピンでは富裕層の特権に近いイメージだ。
この辺を知らずに「今度日本に遊びに来て!」と気安く言うと少し淋しそうに苦笑いされることもある。

(ノリや社交辞令で「うん、行くね!」と言ってくれる人もいるし、正直にリアクションしてくれる人もいる。個人的には後者のような人から色々学ばさせてもらうことが多い)

恥ずかしながら自分は、現地の人に直接教わるまで、自分の意志でどこにでも行けることの尊さに気づかなかった。
日本のパスポートが最強(ノービザ入国できる国が世界トップレベルに多い)とは聞いていたが、単純に「ラッキー」としか思ってなかった。

海外諸国と比較すると、日本人であるというだけで生まれながらに得た特権がたくさんあることに気づく。
学ぶ権利、仕事を選択する権利、参政する権利、発言する権利、そして移動する権利etc。
完全に平等とまではいかないが、日本では少なくとも、こういった「自由権」が人権の一つとして法で認められている。
正直、あまりにも当たり前に享受しすぎていて、いつの間にかそれが人権の一つだということを忘れてしまっていた。

 

今回のウイルス禍で、日本国内で「強制力」を求める声が高まっていると感じるが、私はそれによって自由権が不当に奪われてしまうリスクの方がどうしても気になる。
遂に行政まで特定業種の制裁に乗り出してしまったが、そこに賛同する声には、ウイルス対策以前の個人的嫌悪感が混同されてしまっているように見える。
日本は、一時の感情や膨れ上がった民意に流されないために「法」を重んじる法治国家のはずなのに。

世間の善悪は時代によってコロコロと変わる。魔女狩りやユダヤ人迫害が善だった時代だってある。
来年突然「フリーランスは悪!」とされてしまう可能性だってゼロじゃない。
そうなれば私は制裁を受け困窮する側の人間になる。

それが嫌だから、私は十分な検討と法整備なしに特定の誰かや何かをいきなり制裁することには賛成できない。
差別が許されないのは、倫理に背くからだけでなく、その差別が自分にいつ返ってきてもおかしくなくなってしまうからだ。
私は自分の身の安全しか考えていない利己的な人間だが、だからこそ差別はできる限りしないように気をつけたい。
自分が差別されたくないから。それに尽きる。

 

そんなわけで、日本のこれから進む道が何かと気になってしまう今日この頃だ。
(書くこと無いとか言った割に長々書いてしまった…)