フィリピン ドゥマゲテ ロックダウン

ドゥマゲテロックダウン生活日記:1日目(4月3日)

こんにちは、フィリピン在住フリーランスのchieです。

私の住んでいるドゥマゲテでも、ついに今日からロックダウン(都市封鎖)が始まりました。
言うまでもなく人生初の経験です。そもそもロックダウンという単語さえ知らなかった…

それで、こんな経験も滅多にないし、後々振り返りやすくするためにも、ロックダウン期間中は日記をつけることにしました。

毎日更新していくので、フィリピン・ドゥマゲテでのロックダウン生活に興味がある方はよかったらお付き合いください!

ロックダウンまでの流れ

初日なので、まずドゥマゲテがロックダウンに至ったまでの流れをものすごくざっくり書いておきます。

2月1日
フィリピンで初の新型コロナウイルスによる死者(中国人男性旅行者)が出る。
その患者がドゥマゲテにも滞在していたことを知る。

2月2日
フィリピンが中国からの入国制限措置を発動。

2月13日〜3月3日
フィリピンの感染者数は3名から増えず。
一方、日本はダイヤモンドプリンセス号による感染者数増で完全に「コロナやばい国」なイメージに。
このとき私はタイにいて、日本に一時帰国してからフィリピンに戻る予定だったが、フィリピンが今にも日本からの入国を制限するんじゃないかと心配になり(そして日本で万が一自分が親に移したらシャレにならんとも思い)、一時帰国を中止してフィリピンに戻った。

3月10日
ドゥテルテ大統領が「まだロックダウンはしない」と発言。

3月12日
ドゥテルテ大統領が3月15日からマニラの封鎖を宣言。
いきなりすぎてビックリする。

ちなみにこの段階で在フィリピン日本国大使館から「日本からフィリピンへの入国も制限される」とメールが届くが、フィリピン国内で正式情報がなかなか出ず情報が錯綜した。

そしてこの日、ドゥマゲテで初の陽性患者が報告された。
市内の学校はすべて4日間の休校措置。

3月14日
再び大使館より「日本からの入国制限は撤回された」とメール。

3月15日
ドゥマゲテからセブへの国内線運行禁止が宣言される。
これまた急すぎてめちゃめちゃビビる。

また、同日セブをすでに出発した国内線がドゥマゲテ上空で着陸許可降りず引き返す自体に。
シブランーリロアンのフェリーもこの日の夜便が最終で、ドゥマゲテーセブ間の行き来はこの段階で基本的にできなくなった。
というかこの段階でもうすでに他の島に行く手段はほとんど塞がっていたと思う。
ネグロス島実質ロックダウンはここからスタート。

そしてこの日、ドゥマゲテで闘病中だった陽性患者が死亡。

3月16日
ネグロスオキシデンタルとネグロスオリエンタルがともに封鎖宣言。
ネグロス島の中でさらにネグロスオリエンタルでの実質ロックダウンがスタート。
この時点でドゥマゲテにいた日本人は帰国手段がなくなった。

そしてこのときにはもうフィリピン国内の感染者数も100人以上まで増えていた。

3月17日
ネグロスオリエンタルで午後9時〜午前5時までの外出禁止令発動。

3月18日
セブパシフィックが19日以降の国際線・国内線全便の運行停止を決定。
ますます帰国できなくなるが、以降フィリピン政府やセブ日本人会の方々の働きかけで特別フェリー・スイーパーフライト・チャーター便などが手配され始める。

3月19日
フィリピンが全ての外国人に対するビザ発給を停止。
ただしすでに滞在している外国人はビザ延長可能。

3月21日
ビサヤ地域全体で学生と65歳以上は24時間外出禁止令。

3月24日
フィリピン航空が3月26日〜4月14日まで国際線の運航停止を発表。

3月25日
セブ州が「強化されたコミュニティ隔離措置」(ロックダウン)の発動を宣言。
ネグロスオリエンタルも近々発動するかも的な情報が出る。

3月29日
ネグロスオリエンタルも4月3日から「強化されたコミュニティ隔離措置」(ロックダウン)の発動を宣言。

3月31日
ドゥマゲテの外出許可証の詳細情報が出る。

4月1日
ネグロスオリエンタルの「強化されたコミュニティ隔離措置」ガイドラインが出る。

4月3日
ネグロスオリエンタルで「強化されたコミュニティ隔離措置」(ロックダウン)スタート ← 今ここ

体感的に、マニラがロックダウンしてからの展開がめちゃくちゃ速かったです。
毎日いろんな情報が出て、いったん禁止されたものがすぐ解除されたり(バイク二人乗りとか)情報が目まぐるしすぎて追うだけで大変でした。。

ドゥマゲテのロックダウンのルール

正確には「強化されたコミュニティ隔離措置(Enhanced Communitiy Quarantine)」という名称なんですが、都市の出入りはもちろん、基本的に24時間外出禁止というかなり厳しいロックダウン状態です。

ルールはものすごくざっくり書くと以下の通り。

  • 家から出ちゃダメ(例外を除く)
  • 事業所は営業しちゃダメ(例外を除く)
  • ホテルは営業しちゃダメ(例外を除く)
  • 公共交通機関は運休(例外を除く)
  • 自分の車やバイクで移動するのもダメ(許可証持ってたらok)
  • ネグロスオリエンタルに出たり入ったりしたらダメ(例外を除く)
  • フェイクニュース流したら法的措置を取るぞ
  • ひとまず4月18日0時1分まで実施予定(延長の可能性あり)

例外になるのはインフラまわりや物流など生活必需系サービスです。

また、外出許可証(Quarantine Pass)の詳細は以下の通り。

一世帯に一枚、以下3色のうちのいずれかが配布される。

:火曜7〜12時と土曜13〜18時
:月曜7〜12時と木曜13〜18時
:水曜7〜12時と金曜13〜18時

※日曜は外出不可

食品の買い出しや病院診療など必要不可欠な目的でのみ外出可。

マニラやセブでも曜日と時間指定まではされていなかったので、かなり厳しいなと思いました。
でもこのとき既に、街のスーパーではロックダウンに向けて買い込みの長い列ができていたので、これはロックダウン後の方が空いてゆっくり買い物できるかもな〜と呑気に考えていました。このときは。

ロックダウン初日の日記

やっと本題の日記スタートです。

外出許可証はロックダウン初日になっても届かず。
↓こんな感じでかなりの手作業でつくっていたようなので、むしろあと2〜3日届かないんじゃないかと思いました。

ちなみに事前にアパートのマネジャーさんに聞いたところ、アパート一部屋につき1枚もらえるよう市役所で申し込んでおいたとの心強い返事が。
できれば黒か赤がいいな〜(水は連続4日間外出できないため)なんて呑気なことを思いながらのんびり待っていました。

午前中はいつものように運動したり仕事したりして過ごしました。
もともとフリーランスのリモートワーカーで外出が少ないので、ロックダウンになっても仕事が減るわけでもなく、特にいつもと変化なく過ごしていました。

お昼ご飯を食べた後、13時頃になってアパートのスタッフさんが部屋に来ました。
いよいよ外出許可証か来たか!と思ったら、ここで衝撃的な話が。

外出許可証は1枚をこの付近一帯でシェアしなければならないから、外出したいときは○○に住んでいる●●さんを訪ねて借りるように。
●●さんはリストを持っているので、そこにいつ外出したいか予め名前を書いて予約できる。

1世帯1枚じゃなかったんかーい!と落胆しました。
しかもスタッフさんの言う「この付近一帯」の世帯数がはっきりせず。

自分たちのアパートも含めて、結構数が多そうなんです。
これはもう実質、外出不可能では?と思いました。

ただ、まぁ、実は予感はしていました。
というのも、私が前に住んでいたアパートは今のアパートよりかなり規模が大きいにもかかわらず、3枚しかもらえないと聞いていたからです。
そりゃ規模の小さいこのアパートはもっと少なくて当たり前だよな…

こりゃもう外出は諦めて2週間篭るかね〜と同居人彼氏と話しながら、またご飯作ったり仕事したりして過ごしました。

そうしているうちに、再び衝撃的な情報が。

なんだって…

衝撃ニュースで初日が終了しました。
明日からどうなる!

明日からは日記だけで短くなる予定です