ドゥマゲテ ロックダウン

ドゥマゲテロックダウン生活日記:20日目(4月22日)

ロックダウン20日目。

すごい、もう20日間もまともに外出していない。
本当に必要最低限の買い物と、健康維持のための散歩のみ。

いやこれ、一人暮らしだったらどうなってたんだろう。
会社勤めしていた頃、年末年始10日間ほどを完全に一人で引きこもったことがあるが、10日間でさえ孤独のあまり頭がおかしくなりかけた。
最後の3日間くらいは「早く会社始まらないかな」と思ったくらいだ。
口の筋肉も固まっていて、年始の出勤初日は話すときに口がうまく動かせなかったのを覚えている。

 

正直に言うと、私は「外出なら種類問わずすべて感染リスク」とする意見には賛成できない。
一人でずっと部屋に閉じこもる生活は確かにゼロリスクかもしれないが、「交通事故に遭うかもしれないから外には出ない」と同じくらい極端に感じてしまう。

日本の専門家会議の見解である「3密」を参考にするなら、人が密集していない屋外で距離を保って活動する分には感染リスクはかなり低いはずだ。
同じように、場所や状況によって一つひとつ感染リスクを丁寧に検証していく必要がある。
その上で初めて実のある「対策」ができるはず。
「きのこは毒があるものもあるから全部食べない」のではなく、「学んで毒の有無を見分けた上で食べる」方が、理性を持つ人間としてはるかに戦略的で文化的だと思うのだ。

そしてそもそもだが、世界には今回のウイルス以外にも日頃から様々なリスクが存在している。
先ほど挙げた交通事故もそうだし、例えばフィリピンではいまだに狂犬病で年間数百人が亡くなっている。
致死率100%の感染症のことは忘れ、新型コロナウイルスだけを警戒するのもなんだかdoesn’t make senseに感じてしまう。

しかしなんだかんだ言っても、一番の理由は「厳しすぎる外出規制はウイルス以外での死をもたらす」ことだ。
すでに一体どれだけの企業が潰れてしまっただろう。
どれだけの人が路頭に迷っているだろう。
そもそも家がない人もいるし、家庭が地獄で外にしか安らげる場所がない人だっている。
精神を病む人もたくさん出てくるだろう。というかもう出ているだろう。

外出せざるを得ない人を感染リスクに晒し、そこに甘えて自分達だけ引きこもるというのにも抵抗がある。
医療従事者はさすがに難しいかもしれないが、スーパーの店員や配達員などインフラを支えてくれている人たちには、「危険なのにありがとうございます」と感謝するだけじゃなく、具体的な感染防止の仕組みを整えて提供することの方が重要じゃないだろうか。
それこそ換気やパーソナルディスタンス、直接接触を不要にするなどの「3密対策」ができるはず。コンタクトレスの配達はまさにその一つだろう。
「外出=リスク」だけで思考停止してしまうと、こういった具体的な対策の検討もストップしてしまうし、「引きこもれる」人たちからの謂れない差別も加速する気がして恐ろしいのだ。

しかし最近は、専門家会議の見解も「可能であれば3つの密すべて避けるべき」という論調に変わったようで、日本では「とにかく外に出るな」の風潮がさらに高まっているように感じる。
他者への「外出狩り」や吊るし上げもどんどん容赦がなくなっている。
もし今回のウイルスに理性があるなら、人間同士が潰しあう様子を見て「計画通り」とほくそ笑んでいそうだ。

一方で、じゃあ何をどこまでOKにするんだ、OKにして医療が崩壊したらどうするんだという議論もあり、欧米の凄まじい犠牲者数を見るとその意見にも頷ける。
しかしそれでも、地域ごとに状況ごとに、一つひとつ丁寧に検証して、対策を講じていくしかないのではないか。
「怖い→外に出ない」で完結してしまっては、ウイルス以外で死ぬ人たちを高みの見物で見殺すことになる。
そして自分もいつ「見殺される側」にまわってしまってもおかしくない。
たとえウイルスの感染リスクが低くなったとしても、そんな世界は地獄でしかないと思うのだ。