ドゥマゲテ ロックダウン

ドゥマゲテロックダウン生活日記:18日目(4月20日)

ロックダウン18日目。

今朝、同居彼氏がアパートのオーナーに新外出許可証について問い合わせてくれた。
新外出許可証はアパートの場合は1ドアユニットにつき1枚配布されると聞いている。
つまり、ルール通りなら私たちも1枚所持できることになる。

しかしオーナーからは残念な答えが返ってきた。
このアパートは新外出許可証も複数世帯でシェアすることになると。

うう、このよくわからん不平等は一体なんなんや…
地域? アパートの世帯数? 行政とオーナーの親密度? わからん。

私は卑屈で矮小な人間である。

この非常時、多少の不便は仕方がない。
今はみんな私欲を抑えて協力しなければならない。
頭ではそうわかっているが、何の理由説明もなく、他の人は得ている権利を自分にはもらえないとなると、つい腹が立ってしまう。

そして、自分は一方的に不平等を被ることに慣れていないのだとも気づいた。
これまで生きてきた37年間、自分の知る限りでは、機会はいつもほぼ平等に与えられてきた。
世界が不条理で成り立っていることは知っていたが、自分は当事者ではなく、外側から見ている人間のつもりだった。
それだけ守られて、幸せに、世間知らずで能天気に生きてきたということだろう。

 

また「リッチキッド」という言葉を思い出した。
これはフィリピンに留学で初めて来たとき、語学学校の先生に言われた言葉だ。
確かクーラーの温度調節がしづらいことを愚痴ったときに言われた。
「ここには家にクーラーが無い人の方が多いのに、リッチキッドの悩みだね」と。

以来、いろんな場面でこの「リッチキッド」という言葉が頭をチラつくようになった。
例えば、現地の人に「私は日本のここが残念なんだけど、フィリピンはここが凄いよね」というようなことを言って、どこか冷めた目で苦笑いされたときとか。
旅先で出会ったイスラエル人に兵役の感想を無邪気に聞きまくって、「兵役なんて無い方がいいじゃん」と返されたときとか。

 

そんなことを思い出していたら、これは世間知らずの自分が不条理を味わわせてもらえる一つの機会なのかもしれないと思えてきた。
不条理といっても、たかが外出許可証だが。

 

そして夜、ネグロスオリエンタルに新たな動きがあった。

ドゥマゲテ ロックダウン

4月末を迎える前に、現在の「強化されたコミュニティ隔離措置」(enhanced community quarantine)を、一つ手前のgeneral community quarantineにダウングレードする可能性を示唆したのだ。

これが実現されれば、州境は閉じたままだが、少なくとも日中はまた誰もが自由に外出できるようになる。
Facebook上での反応を見る限り、住民も賛成意見が多数のようだった。

これまでも書いてきた通り、厳しいロックダウンは持続力がなく、おそらくはフィリピンも「規制→解除→感染再拡大→また規制」というループを繰り返すことになる気がする。
その長い目で見たときに、私も今回の規制緩和には賛成だ。

まぁまだどうなるかわからないが、与えられた不条理をしっかり噛み締めつつ気長に待とうと思う。