こんにちは、フィリピン在住フリーランスのchieです。
私の住んでいるドゥマゲテの隣町に、「Cata-al World War 2 Museum」という軍事博物館があります。
存在を知りつつなかなか行く機会がなかったんですが、先日遂に行ってきました。
そしたらめちゃくちゃ面白くてめちゃくちゃ勉強になる、素晴らしい博物館でした。
これは是非日本人にもたくさん訪れてほしいと思ったので、私が感じた「Cata-al World War 2 Museum」の魅力をこの記事で紹介したいと思います。
「Cata-al World War 2 Museum」の基本情報
場所
ドゥマゲテのダウンタウンから山側にバイクで20分ほど、バレンシアの中心街のすぐ手前にあります。
開館時スケジュール
月曜〜日曜:9時〜17時
※博物館Facebookページの情報ですが、フィリピンでは結構違っていることも多いのでご注意ください^^;
入館料
無料
※館内のドネーションボックスに寄付ができます
撮影
OK
※館長さんに聞いたら快くOKしてくださいました。一応撮る前に一言お声がけするといいと思います。
魅力その1:膨大な戦争遺物コレクション
戦争関連の博物館だと、当時の資料を収集・保存・調査・研究する目的の他に、人間の負の部分・過去の過ちを忘れず後世に伝えていくといった意味合いが感じられることも多いと思います。
特に、第二次世界大戦で日本に侵略された歴史を持つフィリピンのような国では、日本人である私は「自分たちの過去に向き合わなければならない」という一種の義務感のようなものを持って博物館を訪れたりもします。
[タイ・戦場にかける橋]JEATH戦争博物館の魅力をごり押ししたい
その点で「Cata-al World War 2 Museum」は、実はそういった「負と向き合う要素」は非常に少ない博物館でした。
戦争博物館というより、まさに軍事博物館。
武器を中心に、この地に残された第二次世界大戦の遺物をひたすら純粋に集めて展示したという感じの趣です。
国営・公営ではなく個人の運営なので、敷地も決して広くはないんですが、とても個人のコレクションとは思えない膨大な数の展示品に驚かされます。
魅力その2:ガチすぎる館長のマニアトーク
「Cata-al World War 2 Museum」に展示されている膨大なコレクションは、館長のフェリックス・カタール氏とそのお父さんが、二代に渡って趣味で収集したものだそうです。
私が訪れたときは、館長さんは博物館の建物に入ってすぐ左側にある受付スペース的なところで寝ていらっしゃいました(笑)
起こして申し訳ないなぁと思いつつ、館内を見て回っていいか尋ねると、電気と扇風機を付けてくれて、展示品の説明を始めてくれました。
膨大な展示品の数だけでこの人が相当なマニアであろうことは予想がついていたんですが、話を聞いているとますますそのガチっぷりが際立っていきました。
とにかく知識量がすごい!
この銃弾はアメリカ製ライフルの何番、この迫撃砲は何mmで飛距離何kmといった細かいデータを全部正確に記憶されているんです。
何度も説明してきたから覚えているというのもあるでしょうが、説明しているときの表情がまたすごく楽しそうで生き生きとしていて、「本当に好きなんだなぁ」というのがひしひしと伝わってきます。
そもそも収集方法が凄まじくて、何十キロ何百キロもある砲弾や爆弾を、山で探して自力で持ってきたのだとか。
行きは3時間かけて登って、帰りは爆弾が重すぎて5時間かかったりしたそうです。
しかも、不発弾も大量にあったみたいなんですが、持ち帰って展示するために、なんと自分たちで処理したそう。
日本だと自衛隊がやるやつ。というか、多分どの国でも一般的には政府組織のプロがやるやつを。
一緒に行った同行者が「不発弾を見つけたときは怖くなかったんですか」と聞いたんですが、「これでまたコレクションが増えると思ってすごく嬉しかったよ!」と満面の笑みでおっしゃって、私は「あ、この人やべえ」と若干引いてしまいました(笑)
この爆弾はなんと400kg超え。
「これが今ここで爆発したら君の体は何も残らないよ。ダイレクトで天国に行けるから安心して」とか笑顔で言ってくるんですよ。
クレイジーミリタリーオタク!
もともとミリタリー系に詳しくもないし、英語の理解力も至らないしで、正直館長さんの説明は半分くらいしかわからなかったんですが、それでもめちゃくちゃ面白かったです。
一つ一つの遺物に、それ自体が持っているストーリーと、そこに関わった館長さんのストーリーが感じられて、ミリタリー好きじゃなくても興味をそそられました。
ミリタリー好きだったらきっとさらに深く楽しめると思います。
ちなみに武器だけじゃなく、当時日本軍やアメリカ軍が使っていた生活用品、骨董品なんかもたくさんありました。
これはアメリカ軍が使っていたコーヒーや紅茶の袋。
当時の歯磨き粉なんかも中身もそのままで残っていました。
一番興味を引かれたのが、アメリカ軍が使っていた武器や戦術のガイドブック。
World of Tanksファンとしては、この「tank battalion」とかちょっと中身読んでみたかったなぁ…!
魅力その3:日本人の足跡を実感できる
私が日本人ということで、館長さんは日本軍の遺物に残されている日本語をたくさん読ませてくれました。
一見日本製とはわからない銃弾や手榴弾なんかでも、内側や裏側のすごく細かいところに小さく「昭和何年」「大阪」とか書かれているんですよね。
実際に手に取らせてくれて、分解して読ませてくれるので、「うわぁ、本当に日本のだ」とゾクゾクしました。
大量に展示されている日本製の手榴弾。
これも全部山から自分で持ってきたそうです。
関連書籍もたくさん置いてあって、このページを見せながら「当時日本ではもう金属を使い果たして、お寺の鐘を溶かしてこの武器をつくったんだ」と説明してくれました。
このあたりのことは流石に知ってはいましたが、こうして実際に武器を触りながら聞くと、なんだかより理解が深まる気がしました。
印象的だったのが、当時日本軍に配布されていた(?)、連合軍への投降を促すカードのようなもの(写真撮り忘れた)。
「犬死(自決)してはならない」といった心に訴えかける文章や、投降する際の注意点(武器は一切持たず一人でゆっくり近づけ等)が書かれていました。
館長さんが「日本兵たちは投降するとき、これを頭の上にこんな風に掲げて連合軍に近寄っていったんだよ」と教えてくれました。
そもそもバレンシアの奥のタリニス山付近になぜこんなに日本軍の痕跡があるかというと、1944年以降アメリカ軍を中心とする連合軍のフィリピン攻撃が始まってから、生き残りの日本軍が逃げ込んで現地の人たちと暮らしていた場所だからなんですね。
マニラ新聞ウェブのこちらの記事によると、結局日本軍が逃げ込んだ山村は米軍機の空襲を受け、日本軍ももともとそこに暮らしていた現地の人たちもほとんどが亡くなってしまったそうです。
タリニス山頂にある慰霊塔は、このときに亡くなった方たちを悼んで1977年に建てられたものとのこと。
ドゥマゲテに2年も住んでいて恥ずかしいですが、私はこの博物館を訪れるまで、このあたりの歴史をほとんど知りませんでした。
山から実際に持ってこられたたくさんの遺物を目にして、「ああ、当時、確かにここに日本人がいたんだ」と、心に感じ入るものがありました。
この感覚を持てるだけでも、ドゥマゲテに来た日本人は特に、この博物館を訪れる価値があると思いました。
そして館長さんは、なんとここで亡くなった日本軍26人の遺体を発見し、日本政府に返還してくださった方でした。
(ちなみにアメリカ軍の遺体探しにもアメリカと協力して尽力されています)
当時の政府関係者からの手紙や、現地調査のときの写真なども見せてくれました。
館長さんは亡くなった日本人に日本式で祈りを捧げてくださっていたようで、なんと南無妙法蓮華経も覚えいらっしゃいました。
なのに「あ、この人やべえ」とか思っちゃって、私ってやつは。
ちなみに館長さんは、「母がよく歌っていた歌だよ」と言って、日本語の何かの歌も歌ってくださいました。
館長さんのお母様は、もしかしたら当時の日本軍と何かしら関わりがあった方なのかなと思いました。
(館長さんは確か今61歳とおっしゃっていた)
この日は展示品を見るだけだったので、いずれ近いうちに館長さんのご家族と日本との関わりについて、もっと詳しくお話を聞いてみたいです。
おまけ:何故かウサギもたくさんいます
一通り見て回って説明を受けた後、館長さんが突然「ウサギ見る?」と言って、博物館の右横の敷地に連れていってくれました。
そこにはなんと、ゲージで飼われている200匹以上のウサギが!
毛が短いのやフサフサなの、耳が長いのや垂れているのなど、種類もかなり豊富そうでした。
赤ちゃんウサギもたくさん。
いや、、、可愛くて癒されましたが、なぜこんなに大量のウサギが?
あえて聞かなかったですが、もしかしたら館長さんの本業はブリーダーさんなのかもしれません。
というわけで、ウサギまで見れちゃう軍事博物館「Cata-al World War 2 Museum」、ドゥマゲテに来たらぜひ足を伸ばしてみてください!
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